ここ一週間くらい
夜更かし気味になっているせいか、
朝の9時過ぎまで寝てしまっていました。
早く寝ようと思ってベッドに入るのですが、
色々と考えてしまって眠れないのです。
今の時期に自堕落にしていたら
どんどん自分が嫌いになりそうなので、
どんなに眠くてもいったんは7時過ぎに起きて、
どうしても眠くなったら昼寝をするようにしましたが、
昼寝をしてしまうせいで、
余計に夜に眠れなくなってしまうのです。
そこで、どんなに眠くても昼寝などせず、
起きていたほうが良いのだろうと思い、
ヨガマットに座って You Tube を見ながら
ヨガをするようになりました。
そして、ヨガをしているときに
「おすすめ動画」として画面の右端に表示されていた
誘導瞑想というものをやってみました。
誘導する人の言葉に従って深呼吸したり、
頭の中で想像するのものです。
その誘導のなかで、
「目の前に現れたドアを開けると、
あなたを幸せにしてくれるものがあります」
みたいな言葉がありました。
でも、想像の中でドアを開けても何もありません。
そこで思い至ったのですが、
私は、自分の幸せが何なのか、
よく分かっていないのかもしれません。
色々と考えてみたところ、
たとえば美味しいものを食べる、
美しい庭園で癒される、
大好きな植物を育てられる自分の庭がある・・・
などなど、自分の「好きなもの(こと)」
については思いついたものの、
「好きなことをする=幸せ」という公式が
成立するのかどうか分からなくなりました。
私が考えついた「好きなこと」をしていると、
その時はハッピーな気分になって
気持ちも紛れますが、それは永続しません。
それをしているときは「幸せ」かもしれませんが、
それが終わってしまうと「不幸」ではないものの
「普通」の状態になってしまいます。
普通の状態で「幸せ」を感じるには
どうすればいいのだろうか?と考えたときに、
好きなことをしたときに感じるような
高揚感や満たされたような気持ちを
常に感じることによる「幸せ」は、
現実的ではないと思いました。
常に高揚感を感じていたら、
いつの間にかそれが「普通」になってしまって、
もっと強い高揚感や満たされた気分にならないと
「幸せ」を感じなくなるからです。
そう思った時に、気づきました。
日本にいて引き籠っていたときの私が、
今の私と入れ替わったならば、
職無しという先が見えない状況ではありますが、
あの頃に比べたら
「ちゃんと生きている」という実感があって、
もしかしたら「幸せ」を感じたかもしれません。
でも、今の私にはこれが日常(当たり前のこと)で
特段「幸せだ」と感じることはありません。
もしかすると、幸せとは「何か(モノや感情など)を得る」
という状態によって生まれるものではないのかもしれません。
なぜなら、それが手に入ったら入ったで、
その状態に慣れてしまって
「幸せだ」と感じなくなってしまうからです。
もしくは、「幸せ」というものは、
何かを得ることによって幸せを感じたとしても、
それだけで終わりではなくて、
さらなる「幸せ」を追求し続けるような、
そんな類の連鎖的なものなのかもしれません。
もし、1つの「幸せ」は永続せず、
常に探し続けないといけないと仮定するならば、
状態に慣れて幸せを感じなくなることは必然と言いますか、
さらなる幸せを追求するために
必要な気持ちなのかもしれません。
もしくは、私が頑張って手に入れたものについて
初心を忘れないようにすると言いますか、
ひとつひとつについて、
それを手に入れたいと思った気持ちや、
その願いを叶えるために費やした努力を思い出して
「幸せを再確認する」といったことを、
日常的に繰り返していく必要があるのかもしれません。
そんなことを考えていたら
「幸せ」が何なのか分からなくなりました。
でも、ひとつだけ言えることは、
今の職無しという不安定な状況の自分でも
以前の引き籠っていた時期に比べたら幸せなはずだ、
ということです。
そして、そう思える根拠について考えてみると、
今の私が手にしているものは、
過去に「欲しい」と強く願って、
そのために頑張って、
少しずつ手に入れてきたものだからだ、
ということに気付きました。
たとえば実家を手に入れるときは
かなり無理をして何度も遠くまで内覧に行ったり、
一度買う手前までいったのに覆すことになったりしても、
諦めずに努力を惜しまず前へ進み続けましたから、
本当に頑張った!と胸を張って言えます。
家を買うのなんて無理だと諦めていたのに
最初はNさんに励まされて一歩を踏み出し、
「無理だ」と思うような事実を
何度も何度も突き付けられながら、
2年近くの年月をかけて、
1つ1つの障害を取り除きながら、
苦労の末に手に入れました。
あの時の苦労を思ったら、
頑張って手に入れた家を手放さないためにも
どうにか定期的な収入を得るための手段を手に入れなければ、
と強く思いました。
だから頑張る!というほど
単純に気持ちの切り替えはできていませんが、
少なくとも「頑張る理由」を見つけたような気がします。
これまでは「養う家族がいるわけでもないし、
自分一人がこの世から消えてしまっても
何の問題もないだろう」と思うことが多くて、
求職活動への熱意が持てずに無気力になって
いっそのこと死んでしまおうか・・・
などという考えが頭をよぎることもありました。
「私がいなくても何の問題もない」ということは
変わっていないかもしれませんが、
自分の、あの時の努力を無にしたくはない!という気持ちが強く、
そのためなら、まだ頑張れると思えました。
年齢的に再就職が難しいことは分かってはいますが、
せっかく手に入れたもの、
小さな幸せを保守するために頑張らなくては、
という気持ちになりました。
きっと、これからも面接で落ちたり、
面接どころか書類選考にすら通らないことも多く、
落ち込むことも多いと思います。
でも、頑張る理由があるから、
きっと頑張れるのではないかと思います。
(少なくとも、今はそう思っています)
それに、まだ自分で理解していないだけで、
実家以外にも「頑張る理由」はあるかもしれないので、
他にも頑張る理由を探してみたいと思います。
頑張る理由が多ければ多いほど、
壁にぶつかった時に「頑張ろう」という
先へ進む力になってくれると思うからです。
みなさんには沢山心配をかけてしまっていますが、
頑張ってみようと思います。
心配してアドバイスをくださったり、
優しい言葉を掛けてくださってありがとうございます。
少しずつですが、
私なりのやり方で前へ進むべく
がんばってみますね。
ところで、今日は用事があって診療所へ行ってきました。
入口の階段下に犬が繋がれていて、
飼い主さんの診察が終わるのを待っているようでした。
健気なほどに診療所の出入口を凝視している犬を見ていると
本当に飼い主さんのことを大切に想っているんだなぁ・・・と、
なんだか笑顔になれました。