ホテルに1か月以上滞在していました

イギリスを出るときにもいろいろとありましたが、
ロンドンでのことを思い出すと、
それが嫌な記憶であったとしても、
懐かしくて帰りたくなってしまいます。

だから、今はロンドンでのお話は控えておいたほうが
自分の精神衛生上良いような気がするため、
日本に来てからのことをお話します。


日本についてすぐ、
私はバスに乗せられて都内のホテルに隔離されました。

コロナ対策の隔離は3日間で、
部屋にはダブルベッドが置いてありましたが、
そのせいもあって、
スーツケースを広げることすらできない広さでした。

それでも、最初のうちは良かったのです。
多分、日本に対する期待があったからだと思います。

狭くても、3日後にはほかのホテルに移動して、
2週間くらいで家を見つけて・・なんて思いながら、
日がな一日、賃貸物件を探していました。

本当はウィークリーマンションを借りようと思ったのですが、
借りるときに期間を決めなくてはならず、
その借りる期間が終わった時に
滞在を延長できるかどうか定かではなかったので
迷った末に安いホテルに滞在することにしました。

部屋が空いていれば延長はできるけれど
他の人からの予約が入ったら、
その時点で住処が見つかっていなくても出ていかねばならず、
大荷物を持って移動するのは大変だろうと思って、
安いホテルに泊まることにしたのです。

金額的には、ウィークリーマンションに滞在するのと
たいして変わらないような安いホテルです。

本当は2週間くらいのつもりでしたが、
結局1か月以上滞在することになり、
かなりの出費となってしまいました。

しかも3月は宿泊代金が安めでしたが、
4月に入って旅行シーズンになると
宿泊費用が3割くらい値上がって、
最初は安ホテルだと思っていたのに、
最後のほうはそれほど安くもないホテルになっていたのです。

でも、その頃は不動産屋さんに騙されたり
なんだかんだとすでに気持ちが落ちこんでいたうえに、
上司との折り合いがうまくいかず
仕事でもストレスを感じていたことから、
違うホテルを探して移る気力もなく、
ずるずると高いお金を払ってホテルにいました。

ホテルに滞在していて良かった、と思うことは
毎朝フロントの人が「いってらっしゃい」と
声をかけてくれていたことです。

一人で心細いときの「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」の一言だけが、
自分と社会をつないでくれている糸のような
そんな気がして、心が温かくなりました。

でも、そのホテルの部屋はとても暗くて
シティホテルでお洒落なのですが、
壁が真っ黒、カーテンも灰色、
窓の外は隣ビルの壁、
室内の照明もオレンジ色のライトが1つだけという、
人が住むには暗くて、気が滅入るお部屋でした。

今思うと、移動したほうが良かったのかも・・・
と思ったりもしますが、
その当時の私は八方塞がりな気分で
とてもそんな気力はありませんでした。

そんな環境で過ごしていたことは、
今思うと精神的に良くなかったと思いますが、
その当時は色々とあって疲れていて
そこまで頭が回りませんでした。

色んな部屋を見ましたが、
線路の横だったり、
飲み屋さんが何件もあるところだったり、
思ったような部屋が見つかりません。

あとから知ったのですが、
東京は退去のときに2か月前告知が当たり前で
住人が出ていく前に、
内覧せずに次のテナントが入居を決めるのだそうです。

つまり、4月に入居したかったら、
2月から家を探し始めて
内覧をせずに決めないといけなかったのです。

2月初めは内定すら出ていませんでしたから
どだい無理な話ではあるのですが、
そんな状況だったので、
3月末まで残っている物件は
いわゆる「売れ残り」で、
家賃が高かったり、
条件が悪かったりするものばかりなのでした。

そのため、会社を終わって見に行っても
ドアを開けると階下にある飲み屋から
すえたような食べ物のにおいが漂っていたり、
薄暗くて日も差さないようなところだったり・・・

贅沢を言っている場合ではないとは思いましたが、
そこまで贅沢を言っていなくても、
妥協できるレベルの部屋が見つからなかったのです。

そんななか、やっと狭いながらも日が差す、
良い感じの部屋を見つけたのです。

帰国して2週間くらいの頃でしたが、
その不動産屋さんが酷かったのです。

長くなってしまうので、
続きはまた次に書かせてください。

こちらは近所の道端に咲いていたラベンダーです。
大ぶりのイングリッシュラベンダー。

懐かしくて、涙がでそうになりました。

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posted by イチイ at 21:59Comment(6)日記