グラストンベリーに来て、良かったです。
昨日のマッサージは3時からだったのですが、
直前に予約した長距離バスはどれも値段が高く、
一番安かった朝一番のバス、
7時半ロンドン出発のバスに乗りました。
ブリストルで市バスに乗り換えるのですが、
そのときに、ちょうど同時期に列に並んだ
ご年配の女性から「お先にどうぞ」と
ニッコリ笑いかけられました。
そのときに、胸が熱くなりました。
ロンドンで毎日バスに乗っていますが、
最近では男性でも先を譲る人が少なく、
女性にいたっては
誰もが「自分が優先されて当然」という顔をして、
我先に乗り込んでいくのです。
こういう、ちょっとした気遣い、
見知らぬ相手に対する些細な優しさというのを
久しぶりに感じて、
「ああ、人間関係って、こういうものだよな」と
改めて思い出したのです。
昨日は時間があったので、
ウェルズという古都で途中下車しようと思い、
バスのドライバーさんに料金を聞いたときも、
にこやかに笑いながら、こう教えてくれました。
「ウェルズまでが6.50ポンド、
そこからグラストンベリーは10分くらいだけど
2.50ポンドかかるから、
1日券のほうがいいかもしれないよ。
7ポンドだけど、ストリート(グラストンベリーの先にある街)
にも足を伸ばせるし、乗り降りし放題だから」
ストリートへ行く時間があるかはわかりませんでしたが、
1日券を買いました。
そして、初めてブリストルに来たときのことを
思い出しました。
道行く人がにこやかで、
目があっただけでニッコリ笑いかけてくれたりして、
誰かと話をしなくても、
単に道を歩いているだけでも、
「人」として扱われているな、という気がしたことを・・・
今の私は、知り合いは増えましたが、
友達と呼べるのは Nさんくらいで、
職場と家とジムとボランティア先をあくせく移動しています
唯一、気持ちが休まる時間が
ガーデニングのボランティアですが、
最近は、疲れがひどかったり、
お天気が悪かったりして、
なかなか思うようにボランティアへ行けていません。
「日々の生活に流される」とはまさにこのことで、
こうして立ち止まって考える時間ができてみると、
ここ数ヶ月の間、
なんともったいない人生の過ごし方をしていたのだろう、
とすら思えてきました。
「人生にはお金よりも大事なことがある」と人は言いますか、
それは究極の貧乏を経験したことのない人が言える言葉で、
私にとっては、ある意味での特権階級にいる人が
言える言葉だと思っています。
かつて、住む家をなくして、頼る親戚もなく、
ホステルを転々としながら
家探しをしていた時期があります。
仕事は続けていましたので「究極の貧乏」ではありませんでしたが、
職場で住所不定だとバレたらどうなるかわからないと思い、
必死に取り繕っていました。
今でも、お金がないと命を繋いでいくことができないので、
現代社会において「お金よりも大事なこと」などない、
と思っていますが、それでも、
最低限の生活を保障できるだけの金銭や財産を確保したうえであれば、
「お金よりも大事なことがある」のかもしれない、
と思うようになりました。
旅行に行くくらいの余裕ができたとしても、
「人」として扱われない環境にいるのは、
「生きている」と言えるのかしら?
無視する同僚がいたり、
自分の上司の顔色ばかりを伺って、
負担を部下にばかりおしつける上司がいたり・・・
彼らにはそんなつもりはないのだと思いますが、
「人」として扱われているよりも、
「使える道具」としか思われていないような気がします。
辛いから、即転職!ということは考えていませんが、
これからの人生、一人でも多く「友人」を増やして、
できるだけ豊かな人生を送りたいと思っています。
そう思うと、人間関係が築けない職場で、
しかもプライベートの時間も削られて、
人との関係を築く時間もなくなっていることを考えると、
働き方を変えるか、
職場を変えるしかないような気がしてきました。
私の場合、すぐに人のいうことを鵜呑みにしてしまうので、
こうして「自分にとって何が大事か?」ということを考えても、
すぐに忘れて、周りに流されて
ダラダラと日々を過ごしてしまいます。
最近、老眼になってきたりして、
年齢的な衰えも感じていて、
「今、どうにかしなくちゃ」と焦る気持ちもあります。
泣いていれば誰かが助けてくれるわけでもないので、
自分で行動を起こして、状況を改善したり、
自分の目的に向かう必要があるのかもしれません。
最近、訳がわからないまま流されてきましたが、
ここで流れを食い止めて
どうにか押し返す方法、
もしくは流れから逃れる方法を探るべきなのかもしれません。
突然思い立って来たグラストンベリーですが、
こうして落ち着いて考えられる時間が持てて良かったです。
最近、私はかなり幸運だと思えるようになってきました。
昔は、なんで私ばっかり不幸なんだろう、
生まれた環境が悪かったからだ、
親が悪かったからだ、
貧乏だからだ・・・
そんなことばかり思っていました。
今も、貧乏からほんの少し脱した程度で、
所得レベルは下の上といったところですが、
それでも、不幸だとは思わなくなりました。
というのも、私は状況(家庭環境とか)には
恵まれなかったけれど、
人には恵まれているのかもしれない、
と思えるようになったからです。
こういう辛い時に、
忙しいCさんが空いていたこともそうですが、
私は人に恵まれているような気がするのです。
NさんやCさんもそうですが、
ブログを読んでくださっている皆さんが、
いろいろとアドバイスしてくださってり、
励ましてくださったりして、
躊躇する私の背中を押してくれたことが
これまでに数えきれないくらいありました。
そこで一歩を踏み出していなかったら、
生活や環境が変わることはなく、
かつてのように「不幸だ」と思い続けていたと思うのです。
イギリスに来てからも、
もしかしたら1年も経たずに尻尾を巻いて
日本に帰っていたかもしれません。
そう思うと、言葉では言い表せないほどの
感謝の気持ちが沸いてきます。
今の私が頑張れているのは、
周りにいる人たちのおかげなので、
胸を張って「人に恵まれている」と言えます。
私が、そういう人たちにお応えできるほどの度量も、
人付き合いのテクニックもなくて、
ただただ受け取るばかりなのが悲しくなりますが・・・
いつもブログを読んでくださって、
お忙しい時間を割いてコメントを書いてくださって、
心から感謝しています。ありがとうございます。
気持ちと体がリセットできたので、
明日から、ちゃんと自分の生活と精神を守るべくがんばります。
