ミレーの絵 The Woodsman's Daughter

私が初めてギルドホールアートギャラリーに行ったとき、
こちらの絵をとても気に入りました。

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こちらは、
Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレー)が描いた
「The Woodsman's Daughter(森番の娘)」というタイトルの絵画です。
(「落穂ひろい」で有名なミレーとは別人です)

明るい色彩、
あどけない少女の表情、
ちょっと恥ずかし気に果実を差し出す少年。

子供時代の甘酸っぱい初恋の思い出なのかしら?と、
思わず笑顔がほころぶような気持で見ていたのですが、
その後、ガイドさんの説明を聞いたら、
とんでもないドラマが隠されていたのです。

実は、この絵画は
Coventry Patmore(コヴェントリー・パットモア)という
19世紀初めに活躍していた詩人が書いた
「The Woodsman's Daughter」という詩を
モチーフにして描かれたものなのです。

そして、この詩というのが、
なんとも悲惨な詩なのです。

ご参考までに、今日のブログの最後に
詩の全編をコピーしておきますが、
簡単に説明しますと、
このようなお話です。

森番の娘が、父親の仕事を手伝うために森に来ると
いつも遠くから彼らを見つめている少年がいました。

その少年は、
じっと2人を見ているだけのときもあれば、
おもむろに果実を少女に差し出すこともありました。

少女は戸惑いながらも
嬉しそうに果実を受け取ったものでした。

時は流れ、少年と少女は成長し、
二人で森の中を歩いたり、
一緒に過ごす時間が増えました。

しかし、成熟した少女は、
その少年の子供を身ごもってしまいます。

少年は領主の息子で、
森番の娘との結婚なんて
認められるわけがありません。

少年に捨てられた少女は、
生まれ落ちた子供を池に沈めて殺し、
自分も気がふれてしまうのです。


純粋無垢な少年少女の初恋・・・
までは良かったのですが、
その後は、昼の連続ドラマ顔負けの、
ドロドロした悲劇になってしまうのです。

この絵が初めて発表されたときには、
コヴェントリーの詩の一部も
一緒に掲示されていたそうです。

これを見た当時の人々は、
この明るく無邪気な情景の先に広がる
暗澹たる未来に思いを馳せ、
単なる「美しい絵画」がさらに奥深く、
人間のエゴという醜さを秘めているものとして
心に残ったことでしょう。

上手く表現できませんが
こういう劇的な構成と言いますか・・・

ぱっと見た時に抱く印象から、
さらにその奥に導かれるような構成、
そして、その奥に広がる世界感が、
今目にしている世界とは全く違うものであることに、
新鮮な驚きを感じました。


そして、この絵画には
もうひとつのエピソードがあります。

絵画をよく見ると、
女の子の周りにうっすらと
黒いオーラのような影が見えるのが、分かりますか?

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実は、これはミレーが
最初に描いた女の子のポーズがしっくりこなくて
何度か書き直した跡なのです。

ラファエル前派の特徴のひとつとして、
鮮やかな色彩が挙げられますが、
その色彩を美しく出すために、
まずキャンバスを真っ白に塗るのだそうです。

そして、その上から絵具を載せていくのですが、
白地に載せた鮮やかな色は
修正するのが難しく、
暫くして絵具が落ち着くと、
こうして黒く浮き出てしまうのだそうです。

しかも、女の子を顔をよく見ると、
あまり可愛くないというか、
少し歪んでいるように見えませんか?

実は、1851年にこの絵が発表されて、
すぐに買い手がついたそうですが、
その買い手が、こう言ったそうです。

「女の子の顔が気に入らないから、描き直してくれ」

お金のために、仕方なく
女の子の顔を描き直したそうですが、
なんども修正を加えたために
近づいて良く見てみると
ちょっぴりグロテスクにすら見える
黒ずんだ顔つきになってしまったのです。


ルネッサンス時代の絵画とは違って、
19世紀には文献などの記録が沢山残っているので、
絵画の描かれた背景や、
画家の人生が詳しく分かって、
とても面白いですね。


===

The Woodsman's Daughter

Coventry Patmore

IN Gerald's Cottage by the hill,
Old Gerald and his child
Innocent Maud, dwelt happily;
He toil'd, and she beguiled
The long day at her spinning-wheel,
In the garden now grown wild.

At Gerald's stroke the jay awoke;
Till noon hack followed hack,
Before the nearest hill had time
To give its echo back;
And evening mists were in the lane
Ere Gerald's arm grew slack.

Meanwhile, below the scented heaps
Of honeysuckle flower,
That made their simple cottage-porch
A cool, luxurious bower,
Maud sat beside her spinning-wheel,
And spun from hour to hour.

The growing' thread thro' her fingers sped;
Round new the pohsh'd wheel;
Merrily rang the notes she sang
At every finish'd reel;
From the hill again, like a glad refrain,
Follow'd the rapid peal.

But all is changed. The rusting axe
Reddens a wither'd bough;
A spider spins in the spinning-wheel,
And Maud sings wildly now;
And village gossips say she knows
Grief she may not avow.

Her secret's this: In the sweet age
When heaven's our side the lark,
She followed her old father, where
He work'd from dawn to dark,
For months, to thin the crowded groves
Of the old manorial Park.

She fancied and he felt she help'd;
And, whilst he hack'd and saw'd,
The rich Squire's son, a young boy then,
Whole mornings, as if awed,
Stood silent by, and gazed in turn
At Gerald and on Maud.

And sometimes, in a sullen tone
He offer'd fruits, and she Received them always with an air
So unreserved and free,
That shame-faced distance soon became
Familiarity.

Therefore in time, when Gerald shook
The woods, no longer coy,
The young- heir and the cottage-girl
Would steal out to enjoy The sound of one another's talk,
A simple girl and boy.

Spring after Spring, they took their walks,
Uncheck'd, unquestion'd; yet
They learn'd to hide their wanderings
By wood and rivulet,
Because they could not give themselves
A reason why they met.

Once Maud came weeping back. 'Poor Child!'
Was all her father said:
And he would steady his old hand
Upon her hapless head,
And think of her as tranquilly
As if the child were dead.

But he is gone: and Maud steals out,
This gentle day of June;
And having sobb'd her pain to sleep,
Help'd by the stream's soft tune,
She rests along the willow-trunk,
Below the calm blue noon.

The shadow of her shame and her
Deep in the stream, behold!
Smiles quake over her parted lips;
Some thought has made her bold;
She stoops to dip her finders in,
To feel if it be cold.

'Tis soft and warm, and runs as 'twere
Perpetually at play:
But then the stream, she recollects,
Bears everything away.
There is a dull pool hard at hand
That sleeps both night and day.

She marks the closing weeds that shut
The water from her sight;
They stir awhile, but now are still:
Her arms fall down; the light
Is horrible, and her countenance
Is pale as a cloud at night,

Merrily now from the small church-tower
Clashes a noisy chime;
The larks climb up thro' the heavenly blue,
Carolling as they climb;
Is it the twisting water-eft
That dimples the green slime ?

The pool reflects the scarlet West
With a hot and guilty glow;
The East is changing ashy pale;
But Maud will never go
While those great bubbles struggle up
From the rotting weeds below.

The light has changed. A little since
You scarcely might descry
The moon, now gleaming sharp and bright,
From the small cloud slumbering nigh;
And, one by one, the timid stars
Step out into the sky.

The night blackens the pool, but Maud
Is constant at her post,
Sunk in a dread, unnatural sleep.
Beneath the skiey host
Of drifting mists, thro' which the moon
Is riding like a ghost.

ロンドンのギルドホール

今日はギルドホールに行ってきました。

ここには、
さすが2000年以上の歴史を持つロンドンの街!
と感嘆せずにはいられないほどの絵画があり、
しかもその地下にはローマ時代の円形闘技場跡まで残っているのです。

それほど広い敷地ではないので、
所蔵品の一部しか公開しておらず、
しかも公開している作品も頻繁に変わります。

そのため、「いつ行っても新しい発見がある」
人々はそんな風に言っています。

でも、私としては、
「自分の好きな絵がお蔵入りになったらどうしよう・・・」
と、いつもドキドキしながら足を運んでいます。

こういうところに
心配性な性格が出てているのでしょうね(苦笑)

ちなみに、ギルドホールは4,000点以上の作品を所蔵しており、
常時展示しているのは、
そのうちたったの250点あまりなのです。

冷静に考えてみたら、
私の好きな絵はメジャーな画家のものばかりなので、
飾られなくなる可能性は皆無に近いと思います。

それでも、いつもドキドキしながら
入口の回転扉をくぐっています。


私は、このギルドホールに来るまでは、
ラファエル前派の絵画が
あまり好きではありませんでした。

というのも、私が一番好きな時代の絵画が、
13世紀から15世紀にかけてのイタリア絵画で、
とくに前期ルネッサンス時代、
つまり「ラファエロ前」のものなのです。

ラファエル前派は文字通り、
ラファエロが出現する前の時代の絵画を規範としているので、
私にとってラファエル前派の絵画は、
私の好きな時代の絵画の「精巧にできた模造品」
という印象しかなかったのです。

でも、今年の Open House Day でギルドホールに来たとき、
たまたま無料のガイドツアーに入ることができて、
そのときにじっくりとラファエル前派の絵画を見ながら
説明を聞いたら、印象がガラリと変わりました。

アナーキーで、人間ドラマにあふれていて、
若々しい情熱を感じる、
素晴らしく鮮やかな絵画に思えたのです。

というのも、ラファエル前派は、
たった3人の画家しかいないのです。

若き3人の画家たちが、
当時の画壇に新風を吹かせようと、
さまざまな取り組みをしました。

ガイドさんの一人は、
彼らのことを「当時のパンクロッカーだと思っているわ」
とまで言っていました。

高尚な絵画ですが、
パンクで、ロックなのだそうです。

パンクの意味が解らなかったので、
家に帰って調べてみたら、
「攻撃的で強烈な服装・髪型・音楽などのスタイル」とありました。

そして、彼らの描いた絵画や
生きざまについて調べてみると
「本当にパンクだわ、これ・・・」と
思うようなことばかりなのです。


そして、ギルドホールアートギャラリーは
入場が無料なこともあり、
会社のお昼休みなどに足を運ぶようになりました。

でも、転職してオフィスがギルドホールから離れてしまい、
速足で歩いて15分ちょっとかかるようになりました。

そのため、1時間の休憩時間で行くとなると、
アートギャラリーで過ごせる時間は
せいぜい15分程度なのです。

少し話が長くなっしまったので、
私の気に入っている絵のことは
次のブログで書かせてください。

なんでパンクなのか?ということも
色々とお話ししたいのですが、
それもまた機会があったら
書かせてもらいたいと思っています。

こちらが、ギルドホールアートギャラリーの全景です。

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ロンドン市庁舎付属の施設なので、
ロンドン市長が色々なセレモニーを行う
会場としても利用されています。

そして、よく王家には近衛兵がいますよね?

それと同じようにロンドン市長にも近衛兵がいて、
市長の近衛兵は槍持ち(スピアー)隊なのだそうです。

市長警護の任を受けて式典に随行するため、
長い槍を持った近衛兵が整列しても大丈夫なように、
天井がとても高くなっています。

私が好きになった、
ラファエル前派の絵画が充実していますが、
そのほかにも不思議な現代アートが沢山あります。

これから、おいおい紹介させていただきますね。