ジョン・コンスタブルの生まれ故郷

6月の最初の週末に、
念願のコンスタブルの生まれ故郷に行ってきました。

コンスタブルのことを知ったときのことは
こちらに書いています ↓
http://yewtree.seesaa.net/article/448652691.html

その後、計画を具体的に考えて
宿を予約したときのことはこちらに書いています ↓
http://yewtree.seesaa.net/article/449744388.html


念願のコンスタブル・カントリーのことを書く前に
このジョン・コンスタブルという人のことを
少しだけ紹介させてください。

ちなみに、イギリス英語では Constable のことを
「カンスタブル(「カ」にアクセントがあります)」
と呼びますが、日本ではカンスタブルではなく
コンスタブルのほうが一般的なので、
この呼び方に統一しておきます。


19世紀のイギリスの風景画家として、
ターナーの名前を聞いたことのある方は多いと思います。

現在、そのターナーと並び称される
一流の風景画家であるコンスタブルですが、
実は、彼の生前に売れた絵画はたったの20枚だったそうです。

つまり、ゴッホのように後世になってから
その価値が見出されて、
瞬く間に一流風景画家の仲間入りをした人なのです。

20歳になってから画家を志したコンスタブルは、
27歳でロイヤルアカデミーの正会員になったターナーと違い、
43歳で準会員となり、52歳で正会員になったという、
かなり遅咲きの画家です。

では、若い頃から
食うに困るような貧しい画家だったのかと言いますと、
実はそうではありません。

彼の父親は、叔父から受けついた事業を継いでおり、
コンスタブルも画家を志す前は、
その事業を父親から引き継いでいました。

しかし、画家への志が捨てきれない彼を見ていた弟が、
家業の経営を担うことを申し出てくれたため、
晴れてコンスタブルは家業から離れて、
20歳のときにロイヤルアカデミーへ入ることができたのです。

つまり、コンスタブルは「金持ちのお坊ちゃま」だったわけで、
生活に窮するほどの貧困には陥らなかったわけです。

とはいえ、裕福と言えるほどの生活を
していたわけではなかったようではあります。

実は、彼が30歳のときに結婚を申し込んだ女性がいたのですが、
その女性の祖父が「あいつはお金がないから」という理由で
二人の結婚を認めなかったそうです。

その後、彼が40歳のときに父親が亡くなり、
弟が経営していた事業ではありますが、
全財産の5分の1を相続することができ、
ようやくその女性との結婚に許しが出たのだそうです。

相続した財産は、現在の金額に換算すると
約4,000,000ポンド(約6億円)にものぼったそうです。

・・・というわけで、
お金に困ったことのないコンスタブルは、
パトロンや友人に「絵を売りなさい」と言われ続けて、
実際に展覧会などに出品したりもしていましたが、
絵が売れなくても生活には困らなかったようです。


こちらの左下の男性がコンスタブルで
ハンサムな男性として有名だったそうです。

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そして、その右側が奥さんのマリアです。

実は、コンスタブルとマリアが知り合ったのは
なんとマリアが12歳のときだったそうです。
そのときにコンスタブルは24歳だったそうで、
ロリコンというべきか、
一途というべきか・・・・

そして、彼女が20歳になったときに
コンスタブルは結婚を申し込んで
先に書いたとおり、
彼女のお祖父さんに反対されてしまいます。

そして、さらに10年近く待った後、
遺産を相続して(お金持ちになって)
ようやく結婚の許しが出たそうです。

そのとき、マリアは28歳でした。
彼女は40歳で亡くなるまでの12年間で、
なんと8人もの子供をもうけたそうです。

コンスタブルはマリアのことをとても愛していたそうで、
日本では、こんな本が出ているそうです ↓
コンスタブルの手紙 英国自然主義画家への追憶

この本には、コンスタブルとマリアとの間の
手紙のやり取りが載っていて、
彼のマリアに対する深い愛情が伝わってくるそうです。

読んでみたいなぁ・・・と思いつつ、
お値段の高さに尻込みしています(苦笑)

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posted by イチイ at 11:13Comment(4)絵画・建築など